鎖国体制下の江戸時代から、国際的な交流が盛んだった長崎市。
現在でも日本と海外の文化が融合した歴史的な建造物が残っており、異国情緒を感じられるスポットとして、国内外の観光客から人気を博しています。
そこで今回はそんな長崎市の中心部で歴史と文化を感じられる、おすすめの観光スポットを3つ、ご紹介いたします。
長崎市への旅行や引っ越しをお考えの方は、ぜひご参考になさってください。
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長崎市中心部のおすすめ観光スポット1:グラバー園
長崎港を見渡せる丘陵地には「グラバー園」と呼ばれる、洋風建築が集まったエリアがあります。
ここはかつて日本が鎖国体制を終えて開国した際に、外国人の居留地となっていた場所。
園内には当時から残る日本風の屋根瓦に覆われた洋風住宅や、長崎市内から移築された洋館が集まっており、長崎が辿った歴史と文化の融合を感じることができます。
ここではそんなグラバー園での見どころをご紹介いたします。
長崎市「グラバー園」の見どころ:旧グラバー住宅
グラバー園の中心的存在、国指定重要文化財や世界遺産にもなっているのが「旧グラバー住宅」です。
スコットランド出身の冒険商人「トーマス・グラバー」とその子が暮らした住宅で、現存する日本最古の木造洋風建築となっています。
カーペット敷きの室内やアーチ型の欄間など、全体的には洋風な雰囲気ながらも、瓦屋根や土壁、菱格子の天井を持つベランダなどに日本建築との融合が見られるのも特徴。
かつてはすぐそばに大きな松の木があったことから、グラバーは自邸を「IPPONMATSU」という愛称で呼んでいたそうです。
現在でも松の木の根本を囲っていた温室が残っており、当時の雰囲気をわずかながらに感じることができます。
長崎市「グラバー園」の見どころ:旧リンガー住宅
旧グラバー住宅に次ぐ見どころとなっているのが、国指定重要文化財の「旧リンガー住宅」。
長崎で茶葉貿易をおこない、英字新聞の発行やナガサキホテルの経営、長崎市内の上下水道の敷設にも尽力したイギリス人「フレデリック・リンガー」の住まいだった建築です。
もともとはトーマス・グラバーの弟が建てた家ですが、1874年にリンガーが取得して以降、1965年までリンガーの子孫が暮らしていました。
建物自体は木造ですが、外壁は洋風な石造になっているのが大きな特徴。
また貿易商の住宅らしく、ベランダの床にはウラジオストクから運ばれた御影石が敷かれています。
長崎市「グラバー園」の見どころ:旧オルト住宅
旧リンガー住宅のすぐ隣にある「旧オルト住宅」も、グラバー園で観るべき建築のひとつです。
建物の正面に噴水があるのが大きな特徴で、ベランダにはトスカーナ風の列柱が施されており、外観はまるでローマの神殿のよう。
後ほどご紹介する「大浦天主堂」を建築した、天草出身の「小山秀之進」によって建てられたもので、こちらも国指定重要文化財に指定されています。
またこの建物の最初の住人であった「ウィリアム・オルト」は、製茶業で一財を成し、居留地自治会や商工会議所の初代議長を務めたことで知られます。
(※旧オルト住宅は保存修理工事のため、令和7年11月まで観覧停止予定)
●所在地:長崎県長崎市南山手町8–1
●開園時間:8時00分~18時00分
●休園日:年中無休
●アクセス:長崎電気軌道5系統「石橋」電停より「グラバースカイロード」経由で徒歩約5分
●駐車場:無
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長崎市中心部のおすすめ観光スポット2:大浦天主堂
続いてご紹介するのはグラバー園のすぐ隣、小高い丘の上に立つ「大浦天主堂」です。
19世紀の後半、1864年に建てられたキリスト教の教会で、その歴史から国宝にも指定されています。
長崎市「大浦天主堂」の歴史
大浦天主堂は1864年に、来崎したパリ外国宣教会の神父らと、天草出身の大工であった小山秀之進によって建設されました。
実は大浦天主堂はその正式名称を「二十六聖人殉教者聖堂」といいます。
二十六聖人とは、豊臣秀吉のキリシタン禁教令によって1597年に長崎で処刑された26人のキリシタンのこと。
彼らが1862年にローマ教皇から聖人とされたことを受け、大浦天主堂は建設されたのです。
また大浦天主堂が竣工した翌年、浦上にいた潜伏キリシタンたちが教会を訪れ、神父に信仰の告白をしました。
この出来事を「信徒発見」といい、弾圧のなかでおよそ250年間も信仰心を守り通してきた人々がいたことは、世界の宗教史でも稀に見る出来事として伝えられています。
長崎市「大浦天主堂」の見どころ
大浦天主堂は、現存する教会としては日本最古のゴシック様式の建築です。
着いたら、まずはその外観を見ておきましょう。
レンガ造りですが上から白い漆喰で塗られており、教会らしい異国情緒溢れる佇まいを観賞できます。
教会の中に入ると高い天井の空間が広がり、その下には色とりどりのステンドグラスやフランスから持ち込まれたマリア像など、荘厳で歴史のある雰囲気を感じられます。
ステンドグラスは原爆や台風によって破損し修復されたものがほとんどですが、なかには1879年の改築時から残っているものもあるので、違いを見つけるのも面白いですよ。
●所在地:長崎市南山手町5-3
●開館時間:通常 8時30分~18時30分/冬季(11月1日~2月末日) 8時30分~17時30分
●休館日:教会行事により休館する場合あり
●アクセス:長崎電気軌道5系統「大浦天主堂」電停より徒歩約5分
●駐車場:無
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長崎市中心部のおすすめ観光スポット3:出島
最後にご紹介するのは、多くの方が学校で学んだことがあるであろう「出島」です。
当時と形は変わっていますが、その歴史や雰囲気を感じられる場所として整備されており、歴史好きな方から人気のスポットです。
ここでは鎖国体制下の江戸時代で唯一、西欧に開かれた場所だった出島の歴史と、現在の見どころをご紹介いたします。
長崎市「出島」の歴史
もともと出島は、禁教令が布かれていた江戸時代に、キリスト教の布教を防ぐために造られた島でした。
当時、長崎港はポルトガルとの貿易で栄えており、市内には多くのポルトガル人が住んでいました。
そこでポルトガル人を一か所に収容するために、海を扇形に埋め立てて出島を築造したのです。
その後、島原の乱などが理由でポルトガル人は国外追放され、鎖国令の布告と共にオランダ商館が平戸から出島へと移されます。
こうして出島は鎖国下で唯一の貿易港として使われるようになりました。
しかし江戸時代の終わり頃、開国の動きに伴ってオランダ商館が廃止されると、出島もその役割を終えることになります。
その後、明治時代には長崎港を近代的な貿易港にするために、大規模な港湾改良工事がおこなわれました。
現在では扇形の島は残っていませんが、出島への橋や建物が復元されるなど、当時の街並みを取り戻す取り組みが続けられています。
長崎市「出島」の見どころ
かつて出島があった場所では、かつての街並みが復元されており、当時の人々の暮らしぶりを知り、体験することができます。
出島のエントランスにはかつて出島への唯一の出入り口だった「表門橋」が復元されており、当時と同じように橋を渡って出入りできるようになりました。
橋を抜けた先にはオランダ商館長の住居・事務所・日本の役人や大名をもてなす部屋として使われた「カピタン部屋」や、砂糖や染料などの輸入品が収められていた3つの蔵が復元されています。
また復元された建物だけでなく、明治期から残っている洋風建築もあります。
出島エリアの東端に立つ「旧出島神学校」は明治11年の1878年に建てられた神学校で、現存するプロテスタントの神学校としては日本最古のものです。
また北側には在留外国人と日本人の親交の場として、明治36年の1903年に建てられた「旧長崎内外クラブ」があります。
1階は長崎の食をテーマにしたレストランになっており、長崎料理の数々や名物のミルクセーキを楽しめますよ。
●所在地:長崎県長崎市出島町6-1
●営業時間:8時00分~21時00分
●定休日:年中無休
●アクセス:長崎電気軌道1・2系統「出島」電停より徒歩約4分
●駐車場:無
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まとめ
このように長崎市の中心部には、江戸時代から明治期にかけての国際交流を学べる観光スポットが充実しています。
長崎市へ訪れた際は、今回ご紹介した「グラバー園」「大浦天主堂」「出島」にぜひ訪れてみてはいかがでしょうか?
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